いっしょに走ろう ~伴走者の重要性~
休校期間中なので、積極的に運動しようと長男を伴って、鴨川ランニングをしています。
長男の自転車の練習もかねて、理想としては、ペースメーカーになってほしいと思い、
伴走者になってもらいました。
最初は、ちょっと、邪魔くさいな…って思うのが正直なところ。
自転車もまだまだ乗り方が危ないので心配もあるし、
1人で走るより自由さは減ります。
でも、走るコースには、そんなに障害物や信号もないので、
川に落ちない限り、なんとかなるかな、と。
走りながらゆっくり行こうと決めてスタートしました。
Contents
見栄っ張りを利用する
いつもは少々スピードを上げて(いるつもりで)走りますが、
今日は、話せるくらい、ゆっくりでOK。
長男『どこ走るの?』
私『あそこを、左に曲がって、また左に曲がって…』
長男『何回走るの?』
私『3周かな。本当は5周走りたいんだけどね。』
私は、長男を前に見栄を張っていました。
後から気づきましたが、子供にも見栄、張っちゃうもんなんですね。
見栄を張るって、あんまりいいことではないような気がしますが、
この見栄張りを利用できることに気が付きました。
1周半くらいで、
いつものように、もうやめようか、どうしようか
という気分が、むくむくと湧いていました。
でも、伴走者がいることと、
伴走者が走る人の目標を知っているおかげで、
急に目標が引き上げられました。半強制的に。
1人なら、3周でもきついけど、
今日は、3周でも余裕をもって終わることができました。
伴走者は、
自分で勝手にかけていたブレーキを、いとも簡単にはずしてしまいます。
そして、時には、
イチかバチか、みたいな視野の狭い選択ししか見えてなかったのに、
折衷案を提示してくれます。
今回のように、3周は頑張れば走れるけど、
それ以上となると気力が持つか怪しい。
ましてや目標の5周ばかりが意地なのか、頑固なのか
それしか視野になかったのに、
あっさりと「次は4周だね。」
なんて言われると、
3周か5周か、一か罰か、しか見えていなかった自分に気づかされます。
走っていて心が折れそうになったら
たいしたことがないようなことでありながら、
実際に走り出すと、けっこう、心が折れそうな自分に出会います。
しかも、しょっちゅう出てきます。
あからさまに応援をするわけでもないけど、ただ、伴走する長男。
しかも、自分は自転車で楽々。
でも、柔軟に考えることの手助けをしてくれて、
なんとなく、目標を知っていてくれる。
折衷案も出したりもする。
そばにいて一緒に走ってくれる(自転車ですが)人がいてくれる。
それだけなのに、
案外、自分の壁を乗り越えられたりします。
自分では見えない壁を、
「あそこに壁があるよ」とか、
「こうしたら超えられるよ」とか、
当事者からの視点からでは、見えにい部分を指摘してくれます。
パートナーシップにも当てはまります。
そして、案外こどもからの指摘のほうが、的を得ている、なんてこともありますので
子供の声にみみを傾けつつ、
一緒にトレーニングすると、よりたのしくなります。
子供と一緒に何かをできるようになったことが嬉しいですね。
休みだからこそ、できること。ぜひ、やってみてください。
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