東京2020オリンピック聖火リレーは日本人全員で回せたらいいのにな
昨日、ポストに入っていたチラシ。
『東京2020オリンピックの聖火リレーに伴う交通規制』について。
これを見たときは、
ああ、やっぱりやるのかなあ、と思っていましたが、
今日になって一変。
オリンピックは延期だと。
ホームページを見る限り、聖火リレーが中止とはなっていなかったので、
きっと、そのままあるのでしょう。
こうなったら、日本全国津々浦々、
日本に住んでいる人全員で聖火をまわせばいいんじゃなかろうか。
一年あるわけだし、ゆっくりゆっくり。
特定の人だけじゃなくて。みんなが参加するようになったらいいと思うのです。
オリンピックがもっと身近に感じるし、
聖火に触れられるなんて、なんてステキなことだろう。
とっても、ご利益がありそうじゃないですか!
日本でオリンピックが開催が決まって、
ふだんはスポーツファンじゃない人も、見た事のない競技を見てみようと思うし、
自分にゆかりある競技は、見る目がちがってきます。
親戚や、友人などの身近な人が選手として出場する、なんてことになったら、
見ないわけにはいかない!となりますよね。
かくゆう私も、
子供の通うスイミングスクールでジュニアオリンピックの入賞者がでたり、
有名なオリンピックのシンクロナイズドスイミングのコーチが同じスイミングプールで教えてる、
なんてことを聞いただけで、
面識も接点も皆無なのに、
勝手にウキウキっとしちゃうんですから。
いい迷惑ですよね…
延期までの約一年間はポジティブにいこう!
今はコロナウィルスの感染が心配ということで、
色々なことに自粛や、規制がかかっています。
そして、オリンピックが来夏に延期になったのも、
事態の収束に約一年はかかるとの予測があったから。
いつまでこんな塞いだ引きこもりみたいな状態が続くんだ!
いいかかげんにしてほしい!
まあまあ、そうは言ってもしょうがないです。
選手がいなければ競技にならないですし、
日本だけでなんとかできる問題ではないわけですから。
考えようによっては、
先の見えにくい状態に、一つの目標が据えられたのです。
今、今年の夏にはできないけれど、
来年の夏にはできる。大丈夫。という意識。
これって、ものすごい希望なのではないでしょうか!?
不安なままで進めるよりも、
日本全体が一年後のオリンピックを目指せる。
からだも、こころも、エネルギーも満タンで、
お祭りを盛り上げていける。
コロナのおかげってわけではないけれど、
コロナがあるからこそ、
そんなものに負けないで、
むしろ、蹴散らすくらいの準備をする期間を
与えられたと考えればよいのではないでしょうか?
パンドラの箱みたい。
(パンドラが箱を開ける前に、たしか人間は火を手にしたんだよなぁ。)
絶望があるから、希望がある。
絶望を感じることなく、希望はきっと感じない。
絶望というのが、コロナだとしたら、
希望はオリンピックになるのか、または、日本人の底力になるのか。
どちらにしろ、
延期を悲観的に考えるのではなく、
今だからこそ自分たちでできることをするべきだと思うのです。
肉体的にも精神的(!)にも準備する
オリンピックというという祭典の本来の姿を見てみると、
世界をあげての平和のお祭りです。
オリンピックの発祥は、ギリシア。
聖火もスタートはギリシアから。
(タイムリーにも、我が家のベッドタイムストーリーがギリシア神話だったのですが、)
もともとは
全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、
神域における体育や芸術の競技祭です。つまり神事という祀りごと。
そして、古代ギリシアの競技精神を表すものが「カロカガディア」。
これは、「美にして善なること」という意味だそうで、
身体的にも道徳的にも優れていることを競うということです。
肉体のもつ美しさ、精神的な美しさ、両方を兼ね備えることを競い合う。
堂々と、正面から、平和的解決をする。
一説には、神々に近づこうとする人間の努力の現れとか。
とにかく、健全な精神は健全な肉体に宿るということですね。
それを古代ギリシアの人々は競い合うことで、
互いに切磋琢磨し、目指していた。
それがオリンピックの精神。
心とからだ、両方兼ね備えていないとだめなわけです。
スポーツをする人達、オリンピック競技に参加する人たちはできているでしょう。
でも、観戦するだけの人に、その準備はできているでしょうか?
自分のからだを自分のものにする
オリンピック選手を見ていると、
自分がしていないのに、
ハラハラドキドキするし、無性に応援してしまう。
競技を行う人の研ぎ澄まされた集中力、
鍛え抜かれたからだ、
互いを想いやるチームワーク
堂々と競い合う姿を見て、感動しない人はいないはず。
競技者を見て、
自然と、自分も頑張らなきゃ、とか、
自分の変わらなきゃ、とか、
何か新しいことにチャレンジしたり、挑戦する気が起きてきます。
懸命に走る人をみていたら、
ソファにどっかりと座り込むのではなく、
少し、走ってみようかな。歩いてみようかな。と思うこともあるかもしれません。
思っても、実際にやらない人はたくさんいます。
でも、このオリンピックという素晴らしい機会を
自分が動くきっかけにしてしまえばいい、と思うのです。
きっかけは、なんでもいいけど、
日本中で盛り上がらることができる。
そんなときの、上昇エネルギーに乗っかってみる、
自分のからだを自分のものにする。
そいうチャンスと時間を、
一年間与えてくれた、と考えてみてはどうでしょうか?
総一億人の日本人がそうなったら、
きっとすさまじいことが起きそうです!
1人でも多くの人が、
自分のからだを自分のものにできることに気づくことを祈って、
今日も鴨川を走ります。RUNRUN
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